菰樽について

菰樽(こもだる)の歴史は、「灘五郷」の酒づくりの歴史とともに始まりました。「灘五郷」とは全国に名の知れた酒造りのまちで、神戸市灘区から西宮市の海沿いにある五つのエリアの総称です。酒造りに適した気候と西宮の宮水、酒造りの職人丹波杜氏の腕という好条件が揃ってできた酒は、近くの港から江戸に向けて大量に出荷することができました。

そして、灘をはじめとして伊丹や伏見など、上方の酒を江戸に船で運ぶ際に問題になるのが、酒樽の破損でした。それを防ぐ目的で、ワラで編んだむしろのようなもの=菰(こも)でくるんで運んだのが菰樽の始まりとされています。菰には、酒の銘柄を区別するために名前や絵があしらわれようになり、現在は店頭装飾にも利用されるデザイン性の高いパッケージへと進化を遂げていきました。

当社は、この丹波杜氏のふるさとであり、酒造りに敵した酒造好適米の産地、丹波篠山で菰樽を作り続けています。

鏡開きと菰樽

日本古来の行事の中で、菰樽が欠かせないものとして「鏡開き」があります。おめでたい席で酒樽の蓋を開く「鏡開き」は、新たな出発や区切りに際し、健康や幸福を祈願してその成就を願いお酒を酌み交わすものです。その由来について明らかにはなっていませんが、昔、武士が戦へ出陣する際に、味方の気持ちを鼓舞しようと振るまい酒として酒樽を割ったことにはじまると言われています。

現在は結婚式や開店のお祝い、新年会や祝勝会などの席で、めでたさや縁起の良さを演出するセレモニーとなっています。力強く樽を割る迫力と華やかさ、菰樽が祝いの場を彩る役割は大きいのです。

実用品として生まれ、装飾的なものへと変化しながら日本人の文化や心に根付いてきた菰樽は、日本の伝統品として世界にも誇れるものといえるでしょう。

酒席点前

茶道には抹茶道と煎茶道があります。抹茶道は室町時代に一休禅師が基礎を作り、煎茶道は江戸時代中期から末期にかけて、文人らの間で盛んになりました。現在も、いくつもの流派があり、多くの人が煎茶の文化を楽しんでいます。

この煎茶道には、酒席点前といって、お茶席に日本酒が出されるお点前があります。
煎茶道のお道具は小さくてかわいらしいものが多く、見るのが楽しみですが、酒席点前では水差しがひょうたん型だったり、通常のお道具と違うものが使われるため、さらに興味が深まります。一煎目は玉露、酒肴が出されて、その次に燗の点前で一献。「燗器」を涼炉にかけて、ほどよく温められた燗酒の味はなんともいえない甘みと香りもっています。なかなか体験できない上級のお点前ですが、静かにお茶とお酒を味わう時間は心を豊かにしてくれます。

お茶とお酒は日本の伝統的な文化です。床の間の掛け軸やお花で季節をあらわし、お茶をいただく時にお気に入りの器を用います。お酒も同じですね。おいしく飲むために季節の肴を選び、好みの酒器を使う…。そういえば、お茶の道具は、美しい布で作られた袋、仕覆(しふく)に包んで大切に扱います。少し目的は違いますが、お酒が入った樽を大切に包むのが菰(こも)。そんなことを思いながら、煎茶のお稽古に向かいます。